点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

破片。─ 20150517-0520 

* どの話でも、ニコの台詞がすごく良くて、大好きなドラマ。

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セクシーボイスアンドロボ』 第一話 ニコの台詞。

親に相談する子供なんて、この世にいるのだろうか。

たいていの親は、面倒なことは知りたくない。

子供はそういうこと、いやっていうくらい学習してるから、よく知ってるんだ。

とにかく問題を起こさないこと。トラブルになる事は避けて通ること。

ヘマをして、学校にも家にも居場所を失くした子が、今どうしているのか。

わたしたちは、知らない。

 わたしにとって世界は、家と、学校と、コンビニでできている。

その中で、わたしはうまくやり過ごす。

その角を曲がるまで、そう思っていた。

 

 私は1人で生きてるんじゃない。

だからこの世には損だと分かっていても踏み込んでしまう一歩がある。

それはいい事なのか、悪い事なのか誰にも分からなくて。

だから多分それは自分で決めなくてはいけない一歩で。

私は生まれて初めて、生きるのって怖いと思って、泣いた。

 

 

* どうしようもなく、全部終わりにしてしまいたくなったり。

むしろそうせねばならない焦燥感のようなものに、のみこまれる日がある。

 


*『被害から何年も経ったサバイバー』は、もう既にたくさん居る。
なのになんでその人たちの事は『過去の性暴力の例』としてしか扱われないんだろうと思う時が、ある。

そして、わたし自身、被害届等を出していないため、犯罪被害者にあたるのかどうか自分で確信が持てないままで居ます。

 

*それでも毎日、既にある「自分」と「自分の病」と付き合っていくしかない。

どうしようもない不安感や焦燥感にさいなまれている時、切実にほしい受け皿が、どこにあるのかわからないままです。

少しでも。生き延びたことをよしとしたくて生きてるつもりだけれど。

それでもやっぱり「わたしはどこになら受け入れてもらえる対象になるんだろう」という不安がずっとあります。

 

*「わたしはどこに受け入れてもらえるの?」という取り残され感を、何度も繰り返し体験してきました。
その体験って本当にダメージくらいます。
「今、被害にあってるんじゃないんでしょ?」「今は何も無いんでしょ?」って言われることは、わたしにとって二次被害的なダメージを充分持っています。

 

*「大丈夫?」と聞かれることがものすごく重い時があります。

「大丈夫だよ」と答えなくてはいけないような気がしてしまいます。

もし「ぜんぜん大丈夫なんかじゃない。もうダメだよ。」と答えたら、その人は一体どうするのだろう?

 

*「もう大丈夫」と、安心したいのは、わたしだ。

「大丈夫?」と問うてきた人の不安を解消するために、大丈夫なフリをするのは、そうするしかない時だけ。

 

 *どうしようもなくしんどい時、真夜中に散歩する。何も持たずに。

殆どの人達が眠っている時間帯に、住宅街の中を歩く。

時々、遠くから新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。

ぶぉーんと走っては、新聞を郵便受けに入れるためにギュッとブレーキをかける音がする。

繰り返し、繰り返し。近くなったり、また遠ざかったり。

 

少し離れたところにある国道を走る、車の音がする。

夜中のこの静かさだと、かなり遠くの方の音も聞こえてくる。

もっと遠くの、踏み切りの鐘の音も。

 

日中は聞こえないのに、夜中だと聞こえる。

日中に聞くと煩わしく感じるのに、夜中だと聞いていたくなる。

 

*しんどくてしんどくて、どうしようもなくなると。
ふっと気を抜くと、長時間の乖離を起こしているらしく、まるで誰かがそこで何かしていったような「抜け殻」が、家の中に点々と在ります。

何か食べた後のお皿や、空き袋や、途中までやっていたらしい手洗いの洗濯物とか。
それがものすごく怖く感じる時が、あります。

 

*自分の体なのに、自分じゃない誰かが占領してる体があるのが、怖くて仕方が無い時があります。
もしもこの体に自分じゃない誰かが占領してる時に、誰かを傷つけていたらどうしようとか。

*でも、その「自分じゃない」と思ってる誰かも、ほんとうはわたしの一部で。
いつまでわたしはばらばらになりやすいココロのままで生きていかなくちゃならないんだろうと、悲しくなります。