点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

『辛かった昔の私』の為に泣くこと。20100218(ameba Blogにて)

泣くタイミングを逃してばかりいた。

自分が悲しいとかつらいと感じていることよりも、周りが辛い・悲しいと感じていることのほうが、わたしには最優先事項だったから。


共依存について知って、回復したいと思った時まで、私は自分が経験したはずの悲しさ・辛さについて泣けなかった。


DV被害のさなかに、知らない男に襲われたこと。


入院中に、同室の女性から寝ている時に襲われた事。


入院中、他の患者から自殺予告をされ、ストレッチャーで運ばれていく姿を目の当たりにしたこと。


患者だったその人達は苦しかったんだろうけれど、2年ほど前の短期入院の時、突然車道に飛び出して死のうとした子が居た時、わたしはもう追いかけなかった。


心配より何より、怒りがあった。


助けて欲しいのはわかる。苦しいのも分かる。


だけど、あなたの「自分を大事に思ってくれているのは誰か?」というテストに、つきあってあげなくてはいけない理由は無い。


私も苦しいから、ココに来たのであって、あなたを救うためにココにいるんじゃない。


その夜、わたしは自分を責めた。

なんて冷たい人間になったんだと罪悪感があった。

何でこんな気持ちにならなきゃいけないんだろうと考えた。


彼女はその後も車道に飛び出す・自傷跡を見せてくるのを続けてきた。


さすがに頭にきて、「しんどいのはココにいる人達、みんなしんどいねん。アンタだけじゃないねん。バカみたいに高い個室に入れて、毎日親が様子見に来るアンタの、一体どこがかわいそうや?!人の心配する気持ちをもてあそぶなや!」と怒鳴ってしまった。


はじめは「しまった」と思った。言っちゃいけないことを言ったと思った。


その場に居た、私より年上の女性が、私に「あなたがいったことは間違って無いよ。彼女のテスティングに私たちがつきあってあげなくていいんだよ。」と小さい声で言った。


後日、飛び出した子がわたしに「関西弁で突然怒鳴られて怖かった。でも、あなたが言った事、考えた事もなかった内容やった。ごめん。」と言って来た。


同じような病気を抱えて生きている人達と出会えると、ものすごく嬉しい。


それは私も同じ。


理解してもらえると思うし、安心する。


だけど、こんなふうに、命を賭けられるのはもううんざりだ。


甘えを受け入れる事を強要されることや、その人の苦しさを丸投げされるのは、もううんざりだ。


そういうものを受け取らなくてもいいんだと知った時、わたしは自分のことで泣いてなかったなと気付いた。



あの時、苦しかった。 肩代わりさせられることが苦しかった。


わたしはわたしを大事にしたかったはずなのに、そうしていい場所に居たはずなのに、「あんたが悪いんじゃないよ」と30年以上、言ってあげる事が出来なかった。


まだ、時々だけれど、思い出せた時だけだけれど、わたしは昔のわたしのために泣く。