点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

2014/07/07









7月7日は、私の唯一の『記念日反応が来る日』である。

(記念日反応とは大きな事件や事故のあった時に1年後、2年後のその日がやってくるとその時のことを思い出し、不安定になることを呼ぶ。)

毎年6月終わりくらいから、気候の変化からくる不安定さも相まって、かなり記憶が曖昧になったかと思うと、異様にハッキリ浮かんでくるモノがあったりして、落ち着かない。


19


色々なトラウマの原因となった被害が起きた日、では無い。

むしろ、DVから抜けるキッカケになった精神科入院日なので、良い思い出になっていそうなものなんだが。

あの日、「ああ、これでわたしは『本当に死んだ』。」と思った。





それは「精神科に入院する」ということとは関係が無かった。


わたしは結婚して引っ越した土地が、とてつもなく好きだった。

ずっと「なんで生きてるのかわからない。私が生きていていいところが、わからない。」という、不安感を抱えながら生きていた。

20歳をこえ、その土地に住み始めてから、わたしはやっと、『家族』という憧れのカタチに属することが出来た。



元夫とわたし、という組み合わせでの意味ではなかった。

未だに何故夫婦になった・家族になったと思えた単位が、私と元夫じゃなかったのか、自分でもわからない。


元夫の両親、きょうだい。そこに元夫とわたし。 この『家族』を、わたしは手放したくなかった。





だがその入院は、元夫から今は何が何でも離れたいけれど、手放したくない『家族』から出て行かなくてはいけないかもしれない不安。

そして、「わたしと血が繋がっている方の、家族であるらしい人たち」には、どう足掻いても受け入れてもらえないのだという、『ダブル見捨てられ感』からのスタートだった。



もうこれで本当に、わたしには、わたしが居て良い場所が、無い。

任意入院の書類を書きながら、名前は書けても、苗字が、書けない。

どれを書けばいいのか分からない。

苗字を書くのが恐ろしくてたまらない。 どれを選んでも、わたしはその苗字に属していない。

でも、今は、保険証にあるままの苗字と、住所を書かねばならない。

その恐怖感と不安感がぐるぐるしているまま、気付いたらあてがわれた3人部屋のベッドの、床に座っていた。

当時のわたしには、ベッドの上で眠る権利が無かった。それで、ベッドに上がれなかった。

上がって横になってていい、と言われるまで、ベッドに上がれなかった。



その日までに。 幾度と無く肉体的に死んでいてもおかしくないナニカがあったにもかかわらず。

わたしにとって自分が死んだ日、は、7月7日なのだ。 いまだに。 





その入院の時に知り合った子に、わたしは香水を教えてもらった。

小さい100円均一のアトマイザーに入れて、分けてもらった。

自死してしまった友人が使っていたその香水は、悲しい気持ちと同時に、安心感も連れてきてくれる。


以前はひたすらに悲しさと寂しさだけを思い起こさせる香りだったのだけれど。


この数年のうちに、安心感を連れてきてくれる香りになった。


記憶と匂いが強くリンクしていることが多々あるわたしには、この香水を切らすのが不安だ。


さすがにアトマイザーのものが無くなってしまったので。

今は安く譲ってもらったボトルを、揮発してしまわないように冷蔵庫に入れている。




あまりにも豪華な香りなので、身には着けないのだけれど。

小さいタオルやハンカチに少し垂らして、持って歩く。

だいじょうぶ。 過呼吸の発作が起きても。 フラッシュバックを起こしても。

これがあるから、だいじょうぶ。


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