点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

『永遠の仔』TVドラマ版、再視聴。

永遠の仔 DVD-BOX

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超ネタバレです。

わたしは渡部篤郎さんと塩見三省さん、草村礼子さん、片桐はいりさん、あき竹城さん好きなため、笙一郎のエピソードばっかリピートしております。

そしてDVD、再視聴というよりなんかもう10回以上見ている気がする~。


昨日、あらためて観たら、TVドラマ版と原作との相違点がかなりありました。




ドラマ版は、ミステリー要素を強く出しているように思います。

でもそうしちゃうと。
優希が海に入っていく姿を、「自分たちを救ってくれる神・人魚・天使」として追いかける笙一郎・梁平の素晴らしいシーンを演じてくれた子役さんたちの努力は・・・orz



ウザイ人、久坂聡志くん。

原作では司法試験に2回で合格。新人弁護士として笙一郎の事務所に雇われる。

法科に居た時から検察にスカウトされるような勉強ぶり。ナンパ癖の部分はドラマと同じく評判悪いようです。

努力に見合った評価を母や姉にしてもらいたい、という「達成感」「承認欲求」にものすごく飢えています。
もうほんとに原作での飢えっぷりはバシバシ共感できて苦しいだけに、ドラマ版聡志は勿体無いです。

ドラマでは、強姦容疑で告訴されかけているナンパしては女を捨てる悪評高いの人物。その法律相談にのっているのが笙一郎。
司法試験の受験勉強をしながら、相談料の支払いをするためのバイトとして笙一郎が聡志を雇う。

・・・ドラマ版聡志のスタートがなんかえらいマイナス要素だらけです。可哀想。

後半の方で伊島刑事に「家庭に問題があるんじゃないのか?」という台詞があるんですが。
なんか『よろしくない家庭に育った病んでる人』扱いに誘導されてる感が、残念。

これじゃ、雄作の事故死や優希の入院等を暴こうとする動機が、原作とえらい差があって説得力が薄い~。






たぶん一番違いがあったのは長瀬笙一郎かと。

優希・梁平と再会してすぐ、ドラマ版では「俺達の中の誰が犯罪を犯してもおかしくない」発言があります。

えええええ・・・。 それ要らないーーー。
『ややこしい家庭に育った人は犯罪をおかす、非行に走る』的な方向に誘導されるから要らないーーー!
入れるんなら、女の子に熱湯をかける母親の事件のあとに、虐待を含む『犯罪はいつ誰が加害者になるかわからない』というような形で入れていただきたかった・・・。

そして、示談シーンが「これはアカン弁護士」な感じ。



さらに原作と大きく違っていて、それができたなら優希・笙一郎・梁平の3人の抱える苦しさが半減しちゃうんだけど、と思った部分が。

ドラマ版の笙一郎と梁平(特に梁平)は、切羽詰ってきたらすぐ優希に電話して「優希、助けてくれ」って言っちゃう。

えええええ!? 

あのねーものすごーい困っても辛くても、しんどいとか助けてとかがなかなか言えない(笙一郎・梁平の言葉を借りるなら『資格が無い』)人の方が多いと思うの。

だからこそ、梁平の養母の台詞がズシーンとくるのです~。(梁平の養父母の話って、わたしにはすごい救いでした。)



文庫版 4巻 <抱擁> P334より

「同じようにね、好きな人とも距離を置いてしまうことが、あるんじゃないかと思ったの。でも、気をつかいすぎるあまり、より深く、相手を傷つける場合もあると思うのよ。~(略)
すべてを、ひとりで背負って、解決しようとするばかりが、大人のやり方じゃない。人を信頼して、まかせたり、まかせられたりできるのも、ひとつの成長かなって思うし。ゆっくりでもいい、自分を開いてみたら、どう・・・人にすべてを託して甘えることを、自分自身に許してあげたら、どうかしら・・・・・」

永遠の仔〈4〉抱擁 (幻冬舎文庫)

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そして久坂雄作・志穂夫婦。

雄作は・・・正直こういう人、そこらじゅうに居る気がするんです。

誰かに受け入れてもらうこと・褒めてもらうこと、認めてもらうことに飢え苦しみ、それが雄作の『優希への性虐待の動機』なのですが。

その飢えて苦しんでいる心情は、理解不能な内容じゃないんです。

虐待という一線を超えてはいなくとも、そしてここまで激しく渇望を前に出さなくても、すべての人の心に程度差はあれど在るもののように思います。

表現方法や手段を大きく間違った人だけれど、自分とかけはなれた何か、には思えませんでした。

家の中で酒飲んで暴れまわる雄作と優希(邑野未亜さん)のシーンは、かなりトラウマです。(DVの時にこんなのあったよっ;;)




志穂に関しては、ずっと周りが変わってくれることを待っている感じでイヤでした。


雄作の死後17年という月日を経てもなお、『優希と聡志が、志穂の願う姿になってくれること=解決・救い』になっている。

志穂が願う姿になっていかない優希と聡志を責める、または、「わたしを虐めている・わたしに復讐している」で止まっている。


自分と雄作の関係や、優希の言葉を信じなかった罪悪感と向き合う時間が必要だったのだとは思います。

でも、『すり替え』がすごく多い気がします。向き合ってるようで、実は向き合ってない感じが・・・。

そして最後、自殺です。 ううーん。志穂はなんかわたしは「ずるい人」と思った。

最初から最後まで「犠牲者で居続けた」印象でした。
(このオチは自分はやりたくないなと自戒。)


遺書にどうせ書くんなら、生きてる時に優希に「あなたは悪くなかった」を言って欲しかった。

ここはわたしは、自分の父や友人の自殺を思い出して悔しくなります。


優希に関してはもう思うことがありすぎる!