点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

不自由と、自由。(後編)

三十歳を迎える頃、同じ性被害当事者たちと出会った。

年齢も生きてきた環境も違うけれど、皆に共通していたのは『当たり前だった日常が、世界が、突然壊れた』という体験だった。

 

壊れた世界を元に戻したい。

そう願っていたけれど、元に戻そうとすればするほど、被害そのものを無かったことにしなければ元には戻らないのだと気付いた。

なかったことに、知らなかったことにしようとするほど、自分が今、生きていることを否定しなくてはならなくなった。

生きのびてしまった自分を、自分自身で否定し押し殺すことは、本当に苦しかった。

 

時間は巻き戻せない。あったことを、なかったことに出来ない。

知ってしまったことを、知らなかったことには出来ない。

逃げようにも逃げられない、死ねる時までつきまとう『自分』という存在を自分自身で殺しながら、自分にとって当たり前だったはずの世界の残像を追い、もう一度そこに自分が入り込めるかどうか他の人々の顔色を窺いながら日々を送る。

 

苦しさと、染み付いた恐怖と、こんなところに追い込んだ加害者に対する憎しみと怒り。それら一色の世界から、わたしはどうしても抜け出したかった。

そして気づいた。被害を知る前の世界は、二度と帰っては来ない。

 

被害体験ありきの自分を直視し、その現実を日々、解離やフラッシュバックで体感するにつれ、もう戻れないのなら、今から、一から「世界」を作るしかない。見出すしかない。

 

どうせ足掻くのなら、もがくのなら、血を流すのなら、わたしはわたしの為に、わたしが生きていていい世界を持つために足掻きたい。
そう考えるようになったのは、もう三十歳を過ぎた頃だった。

 

わたしが今生きている世界について、全く想像もつかない人達もいるだろう。

毎日決まった時間に家を出て、職場へ向かい、あるいは、子どもを産み育て、家事をし、流行のドラマや映画や、職場の人達の噂話に興じ、「毎日が退屈だ。何か面白いことはないかなぁ」と、口癖のようにぼやく、平穏でありきたりな毎日。

そういった平穏でありきたりなはずの日常から、世界から、わたしはあの時追い出された。

出て行くしかなかった。出て行かねば、自分を保てなかった。

 

けれど、その後も自分のまだ止まらぬ心臓と共に生きながら、一体自分が何をどうすることで、自分自身が「踏みしめた」「掴み取れた」という実感を持ちながら歩いていけるのか。それをひたすら探して足掻き続けた。

 

一から自分の生きる世界を作りあげていくこと。

「かつては当たり前だった世界」と、どうすればここから、自分の意思を持って繋がっていけるのか。―――今のわたしは、そのことにしか関心が、ない。

 

かつての日常であった街は、今やわたしにとっては非日常となった。
非日常の中は、生き辛い。不公平だと思った。理不尽だと思った。

不自由だと思った。

ほんとに何の地図もない。道もない。コンパスすら、ない。

ざくざくと、ひたすら、皆の目には『街』に『あたりまえの日常』に見えているこの藪を、荒地を、踏み分けて歩いていく日々。

 

でも、その中にも、嬉しさも喜びも、やっぱりちゃんと、ある。
ここにこんな景色があったのか、という発見も、ちゃんと、ある。

もしかしたら。

かつてあたりまえの日常を生きていたはずのあの頃よりも、わたしはずっとずっと、自由なのかもしれない。

 

(了)