点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

不自由と、自由。(前編)

 

 

 

わたしにとって、ショッピングモールや高層マンションのようなコンクリート製の建物や道路は、それまで当たり前に存在している最も身近な世界だった。

学校の行き帰りには駅と電車を使い、職場そのものも立ち並ぶビルの中にあった。

たくさんの人が行き交うこのコンクリートアスファルト、金属製のガードレールや信号機。

それら全部はそこにあって当然で、それらを利用しながら、わたしはわたしがやらねばならないことをする。

それが「わたしが生きている世界」そのものだった。

 

けれど、一つの大きな性被害から抜け出すと決めた頃、二十数年間、当たり前だと思っていた世界が、あちらこちらから崩れ始めた。

 

仕事を失い、過呼吸発作に怯えながら電車に乗り、通院を続けていく中で、「もうこの当たり前に在ったはずのビルも店も駅も、わたしにとっては敵になった」と感じるようになった。


電車に乗れば、いつまた痴漢に遭うかわからない。いつ息が出来なくなって過呼吸でぶっ倒れるかわからない。すぐに頓服薬を飲めるよう準備しておかねばならない。

 

駅のホームに下りれば、今度は「私は何にも怯えていませんよ。今から皆さんと同じように仕事に向かっているところですよ」と、自分以外の全ての人達にまるで言い訳をするかのように、自分を『しゃんとさせて』病院へ向かった。

 

信号待ちをしている時、目の前を轟々と通り過ぎていく車のエンジン音や車体の色に、加害者を思い起こさせるカケラが無いか? 

そして一緒に立って信号が変わるのを待っている人達の中から「もしかしてあなたはあの時、あの場所でこういうことをされていた人?」と声をかけられたりしないか?

――― 私は何もかもに怯えていた。

 

 

今思えば、わたしというたかが一人の人間のことなど誰も気にとめていないと分かるけれども。

当時のわたしは、いつ自分の体験が、腕や身体にある傷が明るみに出されてしまわないか。

鞄に隠し持っている薬を見つけられてしまい「こいつは頭がおかしいんだってよ」と嘲笑われたりしないかと、怯えていた。

 

気づけばわたしは、自分からボロを出してしまわないように「人と会話」をしなくてはいけない場を、故意に避けるようになっていった。

特に、わたしの身に起きたことや病名、自傷行為を全く知らない人たちとは距離を置いた。

 

例えば。美容院に行くことが恐ろしくなった。

「今日は仕事、お休みなんですか?」と美容師に聞かれるのが怖くて、予約ナシで飛び込んで、髪を切る間自分について一切話さなくてすむような店を探した。

 

お店の人と会話をしなくても、欲しいものをカゴに投げ入れ、ただレジに行けばいいコンビニの存在を本当にありがたいと思った。お金さえちゃんと支払えば、誰もわたしに話かけてきたりしない。

 

働きたくても働けないということは、想像以上にわたしを世間から、世界から孤立させていった。

時折、主治医からの指示を無視して働きに出ると、必ずわたしは接客業を選んでいた。

素の自分を出さなくてよいところ。でも、何らかの形で『フツウの人』と話せるところ。
崩れてしまった世界を、激しく憎んで拒絶すると同時に、この世界がわたしにとって敵ではない、その証拠を何としてでも掴まなくてはこれからを生きていくなんて出来ない、とも思っていた。

どうにかして、世間といわれる世界に繋がって、もう一度、周りと同じ『フツウの人間』に戻りたい。そう願っていた。

 

働いている時間には押し込めてある希死念慮が、自宅に戻ると突如、噴き出す。

生きていたいのか、死にたいのか、どちらなのか。自分でももうわからくなる。

そうしてわたしは、『この世界の中で生きること』と、『この世界を全部感じなくて済むようにすること』の両極の間を、とても長い年月、揺れ続けていた。

(続く)