点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

カードは必ずひっくり返せる。

 

 

 

パニック障害の発作が本当に酷かった頃。

「みんなとおなじようにちゃんとしなければいけない。」

「みんなとおなじようにちゃんとできていなければいけない。」と、自分で自分をがんじがらめにしていた。 

そしてそれがわたしにとって、『不安発作の発端』であった。

 

ある日、パニック障害の為に職場を自主退社するよう迫られた。

今はきっとこんな理由で辞めろと脅されるのはアウトだと思うけれど、当時はこの病に対する認知度がぜんぜん無かった。

理解してもらいたくても、説明に使えるだけの情報がぜんぜん足りなかった。

揃えられなかった。

だから、わたしは自分で辞表を書いて、会社を辞めた。辞めざるをえなかった。

 

 

 

 

 

いろんなものが行き詰った時、こころのなかでつぶやく呪文がある。

『カードは必ずひっくり返せる。』

この呪文を、何もかもがダメになったと感じるとき。

もうがんばれることなんて何も無いとしか思えないときに、つぶやく。

 

たぶん元ネタは、子どもの頃に本屋で一目惚れして買ったタロットカードだ。

正位置と逆位置で、カードがもつ意味が変わる。

 

 

正位置が「何もかもがダメで、がんばれることなんて何にも無い」のならば。

それは、逆位置にすると「今のわたしには急いでやらねばならないことが何一つ無い」ということだ。

もっとひろげると「何をやってもいいし、何もしなくてもいい。どちらでもいい」のだ。

 

どこになにを持ってくるのか。 どこになにを置くのか。

わたしは何を願っているのか。 何を求めているのか。

全て自分で作って、自分で決めて、自分で選んでいい。

 

これは不自由か? 理不尽か? 

いや。全方面において自由ではないか。

 

もうわたしはあのギュウギュウ詰めの電車に乗ることがなくなった。

たしかにはじめは、それが恐ろしかった。だって「みんなとは明らかに違う」から。

 

でも、『あんな電車に乗る必要が無くなった』のだ。

もう「ここで過呼吸を起こしたらどうしよう」と怯える場所が、無くなった。

 

今でもダメなときは本当にダメだったりするけれど、不安要素が激減したことによって、わたしは生き易くなっていた。

 

電車が、バスが辛いなら、自転車や原付で通えるところならいけるかもしれない。

歩いて通えるところなら、もっと大丈夫かもしれない。

そんな選択肢が思い浮かんだ時、「ああ。そうだ。カードはひっくり返せるんだ。」と思った。

 

それ以来、行き詰った時はとことん行き詰ることにした。

 

「カードがひっくり返せる瞬間」を逃さないためにだけ、アンテナをたてておく。

その瞬間は、ふいにやってくる。

思いもよらないところで。 思いもよらないひとの、なにげない言動で。