点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

【ネガティブさを嫌わない・ポジティブさを心酔しない】


タイトル、なんのこっちゃかも知れませんが。

ここ数年、めったやたらと『ポジティブに生きよう』とか『ポジティブな言葉を使っていないとますます不幸になる』とか。

なんかそういうのばっかりよく目にするので、宗教くさくてキモチワルイなと思っている今日、このごろです。

もはや新興宗教なみの勢いで、本気でそう言ってる人達もいて。

まぁそれはその人自身が、そうやってたら生き易いからなのだろうなと思いますので、そういうのが好きな方におまかせします。


わたしは、ネガティヴさを全否定してしまうと、生きづらい人は更に自分で自分の首を絞めることになると思ってます。

実際、わたしがそうですね。 一時期、なにがなんでもポジティヴでなければと思い込んでた頃がありました。

ものすごいしんどかったので、すぐやめちゃいましたが。

 

生きる=日常生活ですから。

24時間、365日、ずーっと心から笑ってろと言われたら、キモチワルーってなる。

闇もあって光もあっての日常です。 朝と昼と夜があるように。

どっちか片方じゃ成り立たんものを、無理に成り立たせようとしなくていいと思ってます。

ただ、気にしておく、心に留めておこうと思うのは、ものすごいネガティヴになってる時に、『ポジティヴさ・明るさをちゃんと持ってた自分をいつかどこかで思い出そう』ということ。

落ちる時はトコトン落ちる。落ちまくる時間も、ちゃんと持つ。

とことんまでいくと、そのうちちゃんと底にぶつかる。底にぶちあたってから、思い出して、あがれたらそれでいい。

ただ、その底=自殺・自傷にならないように、は、気をつけますが。
(死んだら上がりようがないですから。)

昔は自傷や自殺未遂までいかないと、底にぶちあたれませんでした。それくらい具合悪かったんだな~と今は思います。

今、現在、そこまでいかないとぶち当たれない人は、そういう時期なんだなと、落ち着いた時にでもボンヤリ考えてくれたらいいと思いますよ。

「うーん。ここまで大暴れすんの、しんどいなぁ。」っていう『底』が、ちゃんと見えます。

ただし、見ようとしないと、はじめは見えないと思う。見ないようにしてたら、見えないです。気付かない、の方が当たりかな?

わたしがここ数年、とことんまで落ちて「うーん。上がりたいんだけど、とっかかりが無ぇな~」って時にやるのは、美容院に行くことです。

髪を切る・髪を染める。ただトリートメントだけしてもらいにいく。

美容院で、あからさまに落ちてる人と出会うことってそうそう無いので、雰囲気に塗れにいく。ウキウキした感じとか。

で、普段そこまで気にしてねーだろ!って自分にツッコミつつ、家でのトリートメント法とかそういうの、敢えて聞きます。
(スイマセン。殆ど忘れてます。一生懸命教えてくれる美容師さん、ごめんなさい。)

あと、布団カバーとか大物の洗濯を、突如はじめるとか。(そういうときに大雨来たりしますけど、いつか乾けばいいのだ。)


即物的でいいから、自分の周りを「なんかちょっと」「自分の為に」動かしてみる。

そうすると、徐々に自分のどん底の闇から目が離れていく。

離れてきた時が、わたしにとっての『底つき』であり『ポジティヴ変換への入り口』です。

もっかい落ちちゃってもそれはそれでOK。 イキナリ何もかもが右肩上りにいかなくてもいいんです。

「あ~、あん時なんかちょっと明るいところに出た感じがした」っていうのだけ、気に留めておく。

ジグザグでいいので。遠~くから見直してみたら、なんか心持ち右側が上がってる?ってくらいで。


きっと皆さんには皆さんの、『底にぶち当たった位の時にやると良かった事』が、それぞれにあると思います。

ネガティヴかポジティヴかを分析して考え込む前に、そういうのを見つけてみて欲しいなと思います。

多分、それが『自分だけのポジティヴさ』ですから。