点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

医者・薬との付き合い方 その2

 

んじゃ病院にとりあえず行ってみよう、と思った場合。

 

「どこにいけばいいの?!」と悩む事になると思います。わたしもそうでした。

 

わたしの場合、まだPCも無かったし、ケータイもメールと通話しかできない時代だったので、タウンページで探しました。

 

当時の選ぶ基準は

・ 通勤に使ってる電車沿線であること
(定期使えるから交通費助かる。んで、午前に診察をうけても、遅番で仕事入れるようにと思って。)

・既に過呼吸の症状が出ていたので、多分、精神科でいいんだろうけど、内科もくっついてたら便利。
(そういう意味では心療内科でも良かった)

・できたら女性の精神科医がいい。
(でもまだ当時、自分が性的虐待・DVをうけていたという自覚はなかったので、ほんとなんとなく女医さんがいいなあと思って。)

この3つだけでした。

 

で、路線図とタウンページを照らし合わせて行けそうなところがあったので、初診の予約をしたいと電話しました。

 

大抵初診は予約です。

 

その人の生い立ち・家族構成など、そして簡単な問診表(ここでBDIを使うところは使います)に答え、現在、どういったことで困っているのか医師に話すことになるので、どうしても時間がかかる。

 

わたしが選んで初診で行った病院は、精神科・内科・小児科をかねた病院でした。入院設備もありました。

 

医師と面談の前に、後から「あ、あれ、カウンセラーさんだったんだ」とわかったんですが、初診の人は医師に会う前に別室に通されて、そこで問診表と生育歴を聞かれて答えました。

 

その後に医師と直接会って、面談で話した内容を元に現在のことについて色々話をしたと思います。
・・・もうすごい前だから詳しく覚えてない~。

ものすごくテンパってたので、事務の人に「死にたくてたまらないんですけどどうしたらいいですか?」って聞いてしまい、「あの、それは先生と話してください」と言われた記憶がある。

(ひとりで行ったし、それまで内科・外科にお世話になることも殆ど無かったので。それでもテンパりすぎだろ、わたし。)

 

で、過呼吸を本で読んで知って、これかなと思ったので来ました、と医師に話して、2週間分の薬を貰いました。

この薬だけは忘れもしない。デプロメール
当時、認可がおりてすぐの新薬で、「副作用に吐き気があると思いますけど、とりあえず合うか合わないかをみるしかないので、2週間は続けてね。」といわれて、その日の夜から飲み始めました。

 

えげつない吐き気。もう何も喉を通らない、食べ物の匂いもキツイほどの。
診察は2週間後でしたが、あまりにしんどくて途中でもう一回病院へ話をしに行きました。
後々になってわかったことですが、わたしはものすごく副作用が強く出る体質のようです。

おかげで効果だけでなく副作用についてもしつこく確認するクセがつきました。

 

途中で行ったけどやっぱり2週間我慢してみろと。しょうがないや・・・と思い、2週間、飲み飛ばさずちゃんと飲みました。

でも劇的に何か変化があったかというと、わからない。

ただ、ほんとに助かった!と思ったのは、過呼吸発作の時のための頓用薬ですね。
(頓用もちゃんと一日に何回までなら飲んでいいとか確認しておきましょう。)

 

 

2回目の診察は「2週間耐えたよ!」って話と、恐らくパニック障害だから、処方薬の調節をしながら生活の上でこういうことに気をつけて、とかそんな内容だったと思います。
医者との相性がどうの、とか、そういう予備知識ゼロだったので、「この人の前で『死にたい』と言っても怒られない。」
それだけでものすごい安心感がありました。

この先生は、わたしは『当たり』でした。

わたしが精神的にも腕もボロボロで、そんな姿で病院に来ても、慌てず騒がず、わたしが何とか言葉で説明しようとするのを辛抱強く聞いてくれ、うまくいえなくなると「こういうこと?」と助け舟を出してくれる。そういう先生でした。

患者に命令・指示をしない。自殺が絶対ダメだとも言わない。

死にたいと伝えると、「今は待って。」というだけで説き伏せようとはしない。

先生にもわからないことは、わからないと正直に言ってくれる。

 

拒食と自傷行為・自殺未遂が酷くなって来た時、診察中に「入院しよう。とにかく休もう。家事もしなくていい。仕事もしなくていい。今、あなたは自覚してないかもしれないけど、本当に危ないところにいるのよ。」と、いきなり空きベッドを押さえる電話をした先生に驚きましたが、でもこの先生が言うのだから、わたしはきっとホントにボロボロなんだな、と納得できました。

 

このS先生とは、先生の転勤でお別れするしかなくなってしまったのですが、それ以来、転院を考えなくてはならなくなると、いつもS先生に近い対応をしてくれる医師を探すようになりました。

それはわたしが回復していく上で必要なことだから。

 

 

 

余談ですが。

その時、わたしはDV被害にあっていたのですが、当時、わたしは「わたしが間違ってるから殴られているのだ。殴られるのは苦しい。だけどわたしに助けを求める権利は無い」と深く思い込んでいました。

旦那と喧嘩になってしまう、というふうにしか、先生に話すことができなかった。

でも離婚したい、あの人と離れたい、近寄りたくないし声も聞きたくない、足音だけで怖くてたまらないと入院中に告白した時、「あなたが離婚したいと願っているのなら、離婚していいのよ。」と背中を押してくれたのは先生でした。

 

鬱関係の本を読み漁っている人はご存知かと思いますが、病状が悪い時に、人生に関わる大きな決断は避けるべき、ということがよく書いてあります。

冷静に判断できる状態ではないから、というのが理由だと思いますが。

あの入院中に外泊を許可してくれ、2泊3日の間に、わたしは離婚届を書き、大芝居をうって夫に判を押してもらい、自分ひとりで役所へ行き、提出しました。

 

「わたしは誰の指示でもなく、第三者に間に入ってもらうこともなく、自分で離婚を選び、自分で夫と話し、離婚届を自分で出した。」という体験は、わたしの中でとても大きな意味のあることでした。

 

多分、今なら、『DVの疑いあり』と病院側が警察に通報して・・・という流れもあり得たでしょうが、あの当時、身の回りに『DV』という言葉じたいが存在しませんでした。

何年も経ってから、ああ、あれがDVというものだったのかと気付いた時に、「あなたはどうやって抜けられたの?」とDV被害真っ只中の人達に聞かれると、わたしはうまく答えることができません。無我夢中だった、としか言い様が無いのです。