点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

2010/09/19

 

自傷行為をした、その後に何をするか?』が、実はものすごく大事なのではないか?と思う出来事があったので書き残しておきます。

 

 

性犯罪被害や虐待被害当事者となって、通院や治療をうけるにあたって、必ずしもベストな医療機関・治療方法に出会えるか?というと、ほんとに個人差があると思う。

 

わたし自身、PTSDであると断言されたのが約8年前。

どの主治医も一生懸命診てくれたと思うけれど、「PTSDであるということはハッキリ言えるのだけど、じゃあ具体的にあなたに治療として何をしてあげられるのか?となると、もう私では何も出来ない。」と言われた。

 

実際、PTSDと診断されても、その病状・症状にはかなりの個人差があり、症状1つ1つに対して、そのつど対応していくしかないのだとも言われた。

 

自助グループや、セルフヘルプといわれる当事者同士でのケアについても、わたしは長期間利用できたものがない。通い続けてみたいのはやまやまだけれど。

 

まずは、ミーティングがどうしても交通の便の良い駅の近くで行われる事が多く、その大半はわたしにとってトラウマになった場所である事が多い。

 

また、初診から今まで、信頼できる人と一緒に通院するという経験が殆ど無い。

 

PDを発症してからも、片道2時間近くかけて電車に乗り、ひとりで通院を続けてきた。

 

残念ながらわたしは、自分の家族(身内)から病院に通うことも、薬を飲むことも、被害から抜け出したことそのものも否定され続けていたため、わたしの中に、『家族に手助けしてもらう』ということ自体が選択肢として存在しない。

 

最近になって、家族がわたしのフォローに動こうとしてくれるようになってきていると思うが、どうしてもまだわたしは、感情や感覚としてそれを受け入れられない。

 

彼らに何かをしてもらおうと思ったら、わたしは自分でやってきたことを一から説明しなくてはならないから。

今、その気力をしぼりだすほどの余力がわたしには無い。

 

 

自助グループに通えず、かつ治療として効果的で質の高いセラピーやカウンセリングを受けられるかどうかは、個人の経済面と、あとはもはやタイミングと運なんじゃないかと思う。

 

となると、『自分で自分のケアをする』ということを学んでいくしかない。

 

意識して、今までと違うベクトルで何かをはじめる、というのは、ものすごくしんどい。

何せ、今まで自分を痛めつける事ばかりしてきたのだ。いきなり自分を労わろうとしても、何からやればいいのか見当もつかない。

 

今の自分まで、どうやって回復してきたのかを辿っていて、ふと気付いた事がある。

 

 

自傷行為がかなり頻繁だった頃、わたしは傷の手当て自体をしていなかった。

 

血をふき取ることはしていたけど、消毒したり、化膿止めをつけたりといった「手当て」を自分でやりはじめたのは、『自傷行為から抜け出そう』と思い、刃物類の処分からはじめた頃からだった。

 

単純に、傷があることで働けなくなると洒落にならなかった経済状況だったので、下手に化膿したりして治るのが遅くなると困る。

そう思って手当てをするようになったのだけれど。

 

PTSDであろうが、うつであろうが、恐らく精神科・心療内科の領域にあたる病になった人には、1つや2つ、『自分が大きく傷ついた出来事の思い出』があると思う。

(それが『病の原因』と言われるものにあたるかはわからないけれど。)

 

その『大きく傷ついた時の自分』を、わたしは長年『傷ついた』という形でしか受け止めていなかった。

傷は常に手当てをすることもなく、剥き出しのまま放置していた。それしかないと思い込んでいたから。

 

でも、回復の過程で、その傷を自分で手当てしてしまっても良いのだ。

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誰かに手当てしてもらえるのならとても有り難いけれど、わたしの中にある傷を、私ではない人間が見つけ出して何か出来るか?というと、目に見えないものである以上、かなり無茶がある。

 

なら、自分でやってしまっていいのだ。

『あの時のわたし』が傷ついた部分に、『今のわたし』が手当てをする。

『あの時のわたし』に「痛かったね。」と、『今のわたし』が声をかける。

(専門的な用語でいうところの、『インナーチャイルドを癒す』が、これに当たるのかもしれない。)

 

何故かわたしはこれをずっと『やってはいけないこと』として分類していた。

多分、自分を哀れんで、悲劇のヒロインを演じるような気がして、避けてきていた。

傷の舐め合いを1人でやるような、滑稽なことだ思っていた。

 

 

先日、twitterと友人を通して「自分のトラウマ体験など、イヤナコトを紙に書いて、それを箱に入れてフタをする」というのはどうだろう?という話があがった。

 

それで、実際に捨てる予定だったダンボールをじょきじょき切って箱を作ってみた。

 

そこらにあったメモに、浮かぶままに大体の当時の年齢と、体験の内容と、その時に自分が感じたこと、誰かに何かをして欲しかったならそれについても書いて、どんどん箱に入れていった。

それに被せるフタも作って、しんどくなってきたら書くのをやめて、フタをした。

 

多分、これは自助グループのミーティングでやる『言いっぱなし・聞きっぱなし』の部分だ。

 

この箱を、自分はどうしたいのか? しばらく箱を手にとって考えてみた。

最終的には葬りたい。燃やすなり何なりして、きちんとサヨナラをしたい。

でもまだそこまでの間に、何か、欲しい。 何か足りない。
 

自傷行為の衝動を耐えた後に、ノートに書き殴った時は、わたしはそれを医師やカウンセラーに読んでもらった。

ノートの内容についてのコメントがもらえた。それがある意味、手当てだった。

でも、今、わたしはカウンセリングを受けていない。

(病院を変えるしかなくなったので再開は未定のままなのだ。)

 

「やわらかいもので包んであげたいなと思った」と、箱を作っている方の意見を聞いて、ああ、そうだ、包帯クラブだ、と思った。

天童荒太氏の小説。映画化もされています。)

 

包帯で巻いて手当てをしたい。でも長らく使わないので、今、手元に包帯が無い。

それで、たまにしか使わないのだけど色が好きで持っていた風呂敷を出してきた。

その風呂敷で、傷口を縛る時のように箱にくくりつけた。

まだ足りない気がしたので、押入れをかき回してみた。

今年の夏に逝ってしまったうちの猫が好きだったブランケットがあった。一応、わたし用に買ったのだけど、それを使っているといつも猫が上ってきた。

触ってみて、これなら、と思い、今、箱はそのブランケットで包んである。

 

 

どうもこの「箱にイヤな体験や思い出をしまっておく」という、そういうアートセラピー等があるらしい。

 

そういうセラピーやカウンセリングの経験がわたしには全く無かったので、ものすごく新鮮な、自分の視覚・触覚に沁み込みやすい『セルフヘルプ』だ。

 

そうか。手当てを自分でやっちゃって良かったんだ、と、今まで何故それがやってはいけないこととして考えていたのか、自分でもよくわからなくなるくらい、何かスコンと詰まってたものが外れた感じがしている。

 

もし、今、自傷行為から抜けようと思っている人や、自分を大事にするって何なんだろう?と思っている人が居たら。

 

自分についた傷を見つめるのは、苦痛だと思う。苦しいと思う。

何度見ても、それは苦痛だし、苦しいし、悲しいと思うから。

 

どうせ傷を見つけてしまったのなら、そのままほうっておくのではなくて、手当てしてみて欲しい。

自分で手当てするのが抵抗があるのなら、手当てする相手が自分以外の誰か、のつもりで。

もし、あなたのそばに信頼できる人が居るなら、その人に頼んでみてもいいと思う。

 

あなたが痛いと感じているところに、手当てをしてみてほしい。あなたの納得のいく方法で。

ごっこ遊びに見えるかもしれないけれど、頭で理屈として入れるよりも、視覚や触覚などの五感を使って再現すると、直接的であればあるほど、実感として自分の中にしみこんでいくと思う。