点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

2010/09/22 距離感

 

わたしが、もうどうにも死にたくなった時に人に言って欲しかった言葉は、多分「一緒に生きていこう。」とか「ひとりにしたり、置いていったりしない。」だと思う。

 

小学校5年生くらいの時に、母方の祖父が急逝した。

 

もともと糖尿病だったり高血圧だった祖父が、会社で倒れた。

うちに電話がかかってきて、まだ学校に行く用意をしてる時だったから、わたしは祖父のそばに行きたかった。

でも、母と父が「学校に行きなさい」と言ったので、泣く泣く登校した。

 

土曜日で、午前中だけ授業だったから、一生懸命走って家に帰った。

 

家に飛び込んですぐ、同居していた父方の祖母に、「おじいちゃん、どうなったん?」と聞いたら、「ああ、亡くならはったんやって。」と、淡々と告げられた。

 

わたしにとって、母方の祖父は、唯一のわたしの味方だった。

 

弟は体が弱かったため、母は何事も弟が最優先だったし、父方の祖父母は「男の子は世継ぎだから大事」という人達だった。

 

女の子は家を継げないから要らなかったと、面と向かってハッキリ言われたこともあったので、わたしは父方の祖父母に対して「一緒に住んでいるけど、とても遠い存在」でしかなかった。

 

でも、月に数回しか会えない母方の祖父は、女の子であるわたしを、まるごと受け止めてくれていた。

初孫だったからなのかもしれないけれど、わたしは祖父には愛されていると実感できた。

だからこそ祖父が話してくれること、してくれることが嬉しくてたまらなかった。

おじいちゃんが居ればもうそれでいい、くらいに祖父が好きだった。

 

お葬式の時、物心ついてはじめて参加したお葬式だったから、祖父の鼻の穴に綿が詰めてあるのが許せなくて、「こんなんしてたら、おじいちゃんが息が出来ない」と泣き喚いて怒った記憶がある。

 

祖父が死んですぐ、わたしは長かった髪を切った。

祖父が「きっと似合うやろうから、髪の毛伸ばし。」と言ってくれたから伸ばしていたので。

お尻まである髪をバッサリ切ってもらって、半分をお墓に入れて欲しいと頼み、もう半分はその後、ずっと机の引き出しの中に入れていた。

 

祖父の逝去は、わたしに「もうわたしはたったひとりなのだ。もう誰にも守ってもらえないのだ。」という気持ちを植えつけた。

 

既にどこの誰だかわからない男に付きまとわれたりした経験があったので、その頃のわたしは『世界が終わった』くらいのショックを感じた。

 

自分よりも弟を、近所の幼馴染を、後をついてくる野良犬と野良猫を、クラスメイトを、わたしが全部守らねばならない。

母と父方の祖母との確執によって湧いて出る歪みを、この家の中から見えないようにしなければならない。

学校では常に勉強ができる、学級委員を務めるしっかりした生徒でなければならない。

 

それができなければ、わたしが生きていける新たな世界を作り出すことはできないし、そこにわたしの存在価値はどこにもない。もうわたしを擁護し、愛してくれる祖父はこの世にいないから。

 

大真面目でそう思っていた。

今、振り返ると「何でそこまで何もかもを背負わねばと必死だったのだろう?」と疑問に思うけれど。

ここらへんからわたしの『共依存』がスタートしている。

 

わたしが『共依存』という言葉を知ったのは、今からほんの3,4年前だった。

 

愕然とした。

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DVのさなか。

わたしは自分についての問題をかなぐり捨てて、離婚するかもしれないと悩む当時の友人夫婦の仲介をし、自傷行為をしている友人達の「今から死ぬ」という電話に昼夜問わず対応し、堕胎を迫られた高校生の相談にのり、まともに職につこうとしなかった夫の友人を家に泊めて食べさせて、仕事に行かせていた。

 

あの時、わたしにとってはそれら全てが、自分のパニック障害よりも、夫からのDVよりも、わたしの命よりも、最優先事項だった。

これら全てを解決と呼べるところまで関わってはじめて、わたしはわたし自身を『ほんの少し』認めてあげることができたのだと思う。

 

 

そんなわたしを「優しい」と呼ぶ人もいた。

「おねぇに任せておけば大丈夫」と、次から次へと『相談』が舞い込む。

どうしてもわたしはそれらを拒否できなかった。

しんどい、苦しい、重い、と感じながらも、ここで彼らに応えなかったら、わたしは『裏切り者』になる。

自分がされて辛かった『見捨てる側』になってしまう。

それだけは、自分で自分が許せなかったのだ。

 

小学生の頃に感じた『見捨てられ感』は、いつしか、『絶対に誰も見捨ててはならない』という法律のような強固さをもってわたしの中に存在していた。

 

正直、今でもわたしはそういう部分を持っている。

ただ、以前よりは『ここから先はわたしがどうこうできるものではない』という境界線が出来た。

 

その境界線を見出すために、いくつもの人間関係をわたしは破綻させてきた。

一旦、相手との関係をぶった切ってしまわないと、わたしはどうしても自分と相手の間に隙間をつくることができなかったからだ。

 

だがその方法をとることで、いつもわたしは罪悪感と自己嫌悪で打ちのめされた。

やんわりと、相手が「拒絶された」と感じないように、距離をとることは、今でもわたしの生きていく上での課題だ。

 

『自分と、自分以外の人との距離感』は、友人関係だけでなく、家族間や夫婦間、恋愛でも必要な事だと思う。相手の年齢も性別も関係ない。

 

どこまでがわたしの領域で、どこからが相手の領域なのか。

相手から『許可』を得て、相手の領域に入ろうとしているかどうか。

わたしはどこまで相手の領域に足を踏み入れていいのか?

 

この『丁度よい、双方が侵略されたと感じない距離感を持てるようになること』。

それが、わたしのこれから生きていく上での課題だ。

 

このBlogで書いている内容は、わたしが誰かに知っておいてほしい内容ではあるけれど、『アドバイス』でも『指導』でもない。

 

なぜなら、誰かに求められて書いているわけではないから。

ただ、今のわたしが持っている世界は、こういう世界ですよ、というのを書き記しているだけにすぎない。

もし誰かのためになったのなら、それはとてもありがたいことだ。

でも、反面教師のような使い方をしてもらえるのも、とてもとてもありがたいです。