点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

自分の中身、整理キロク。②

母親の役。父親の役。

ACやらASやら虐待について考えると必ず父親と母親が出てきてしまうが。

なんか長く生きてしまってみると、私の周りにも、離婚してひとり親家庭になった人達が登場する機会が出てきた。

昨日、たまたま信田さよ子さんのTwitterをみつけて遡っていて、「?」になった。

家庭内離婚やほんとの離婚、で、こどもに、離れた方の親について悪口を言うのは、私の周りでだけ、たまたまかもしれないが、母親側、が、多い。

父親側も言うのだけど、父親の母親(お婆ちゃん)や、父親の姉妹(小姑的な)が、元嫁について、延々悪口を日常的に話す人達が、いた。

(たぶん、信田さんの本が私はちょっと受けつけなくなってきたのは、ここらへんの男とは、女とは的カテゴライズが重く感じるようになったからかもしれない。)

私の家では一度だけ、母と父が派手に口げんかをしたことがあった。

そのときのことを今でも覚えている。

父はかなり悲観的で、自己完結して勝手に悲劇の主人公役に酔う人だったので、母が家からイキナリ出て行ってすぐに、私と弟を呼んで、こういった。

「パパとママは離婚するかもしれない。だから、お前たちはどっちと一緒に暮らすのか考えて決めておきなさい。」

なにがビックリしたかというと、離婚という結論に父が至るまでの経緯は、完全にすっぽぬかされていた。

判断材料が皆無のまま、父は涙目になって1人にしてくれと言って部屋にこもった。

弟と2人で「え?何?何があったの?」と唖然とした。

弟は私に説明を求めるし、私も説明を父にしてもらいたいのだが、もはや部屋の扉は天岩戸のごとく締め切られていて、聞き出しようがなかった。

とりあえず母が家に戻ってくるかどうか、離婚となったらどうするのか、それそれで考えてみよう、になった。

私は泣きながらも、一切理由を話そうとしない父と、母に、腹を立てていた。どういうことだ、と。

結局はその日の夜中に母は戻ってきた。

離婚なんて話になってないよと母も驚いていて、ああ、父のなんだかよくわからない論理が離婚という言葉になっただけ、というのがわかった。

その言葉が再び父から出てきて、今度は現実化してしまったのは、それから数年後のことだ。

そして、父は「どうせわかってもらえない」という気持ちが先にあって、いつも「お前たちは俺をわかってくれない」というタイプだということも分かった。

分かってもらいたいなら、まず、自分から話せよ、とその後、父に怒鳴ったことがある。

何も言わないで何もかも理解し、思いやってくれ、許してくれ、と人に願うのは、かなり身勝手だ。

親子であれ、夫婦であれ、言わねばわからんことの方が多いのだ。

何も言わずにわかる、というのは、それなりに深さも長さもできてきた人との間に時折うまれる奇跡だ。

奇跡を、いつも起こるべきこと、にするな。

不仲も離婚も親同士の都合のお話だ。

「どんな夫だったとしてもこの子にとっては父親だ」や「どんな妻だったとしてもこの子にとっては母親だ」は大前提であって。

最終的には間にはさまれざるを得なかった立場の子どもの想い・考えの方が主体なのでは?と、私は思う。

親同士のいさかいや、家族間のいさかいは、私はほんとうはものすごく苦手だ。

どこまでいっても「揉め事の原因」は、掘れば掘るほど、阿呆みたいに出てくるからだ。

付き合いが長い分、深い分、火種でなかった筈の何かが火種になる。

それはたぶん、親だから、子どもだから、家族だからという期待があるが故の、副作用のようなもののように感じる。