点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

生きる勇気と癒す力 2013年12月中旬、再版決定!


生きる勇気と癒す力 2013年12月中旬、再版決定しました!

三一書房さまのHPはこちら→ http://31shobo.com/2013/11/16/新装改訂版-生きる勇気と癒す力/
復刊ドットコムの方にもアナウンス出ました!

新装改訂版 生きる勇気と癒す力 -性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック
著者: エレン・バス ローラ・デイビス 共著 / 原美奈子 二見れい子 共訳
出版社: 三一書房
ISBN: 9784380072031
http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68322238



サバイバーは「そう!そう!」と共感する部分があったり、「こんな言葉をかけてもらいたかった!」というような言葉を見つけたり。
「今からこれを私もやってみよう」と思える、セラピー的なものやセルフヘルプの実践例が大量に載っています。

被害にによって、日常生活が非日常的なものにならざるをえなかった。生き残ってしまった。
けれど、生き残ったということは、まだこれから先も、『生きる』のです。

どんなに非日常的な、非一般的な自分の人生であっても、自分自身でその舵取りをもう一度やれるのだという希望が、この本にはあります。

当事者周辺の人たちには、おそらく、あらゆるメディアで言葉だけが先走っている『心のケア』とは何なのか?
いったい、具体的に周囲は何が出来るのか?
あなたが今、心配している『誰か』は、一体何を感じ、何を想い、生き延びてきた(サバイブしてきた)のかを知る手がかりになると思います。




全部で序章含めると、六章あります。

今回は小冊子(自助グループ・支援機関などの連絡先・相談先の一覧)がついていません。

三一書房の小番さまに伺ったのですが、以前の2007年の新装改訂版の時からかなり時間が経っているので、
もう今は公開していない支援機関があったり、逆に新たに支援・相談先が増えていたりします。

それを1つ1つ信頼性のある情報であるという裏づけを取るのに膨大な時間と費用が必要なため、今回は小冊子ナシとなりました。

ですが、本書の中身だけでも 日本語訳出版にあたって、訳者の方々や性暴力サバイバーの支援に関わっている方々、日本で出版されている参考図書などの紹介が多数載っています。

 

あと、副題について。
今回は、2007年版の組版をそのまま使っての再版となりました。
なので、既に出版された書籍情報との齟齬を避けるため、やむなく2007年版の副題をそのまま使用することになったそうです。

ちょっと悔しいですが、でも手に入らないより良いよ~!

なので、この本は「LGBTQI、男性も含めた本だよ」のアナウンス(?)、是非、読んだ方オネガイシマス。

著者の最近の出版物(英語だけど)では女性限定になってない本もあるそうです。




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序章から第三章まで。
本書著者やインタビューに応じた200人以上のサバイバーたちが、実体験を元に、被害当時の心境や、被害後にぶつかった諸問題、回復に必要だったこと等を、読者と共有できるカタチでまとめてくれています。

カテゴリ数も、段落分けも、膨大な数です。
段落タイトルを目次で見て、読みたいと思ったところから読めます。
『宝物のような言葉たち・体験談』だらけです。 

 

第四章 「サバイバーを支える」
当事者をとりまく友人、親、家族、支援者に向けての章。 
一見、性暴力被害当事者と直接関わらないと意味がないように思う人もいるかと思います。

私はこの章は、医療・福祉・介護業界で働く人たちの「働きづらさ」「介護疲れ」等とも関わってくる内容だととらえています。 
支援者にも、「支援」や「ケア」は必要だと思うのです。
けれど今の介護・福祉の世界で、そこは自己責任になっている。すごくバランス悪い気がします。

要介護者の家族も、『心配』の空回りに疲れている方、いらっしゃると思います。
(私の家族が、祖母の介護にあたって、ここ数年、大変だったのはこの部分でした。)
要支援者の主体性をもう一度整理するのにも役立つ視点が、この章にあると思っています。
 

 

第五章 「真実を見据える~サバイバー攻撃の真相」。 

未だに性虐待をうけたとカムアウトすると、サバイバーは「人からの注目が欲しいための嘘をついている」「精神科領域の病による妄想だ」等と言われてしまうことがあります。 
フェミニズムなどの歴史的な背景や、社会的構造なども絡めて学術的に整理してあります。

子どもが親からの虐待を指摘してもなかなか真実を語っていると思ってもらえない現実。
繰り返される、無意識や善意からくる二次的な侵害(神話も含め)にどう対応するのか。

・・・が、私はこの章は2、3回しか読んでないかも~。すいません。
すごい苦しかった。この章。

虐待の記憶は、「あれは虐待だった」と気付くまで、サバイバー自身、自覚できていないことがあります。
私自身がそうでした。
ものすごく気持ち悪かったし、イヤだったのだけど、 『性虐待』という言葉とリンクしなかったのです。
そしてその 「ものすごく気持ち悪かったし、イヤだった」出来事が、10代後半に好きな人が出来た時の自分の言動に影響してきてから、はじめて「問題」として浮き彫りになってきてしまって困惑しました。

この「記憶の欠落」について、今でも「そんなに酷い体験をしたのなら、なぜずっと覚えていないんだ?なぜ今になって問題視して取り上げるんだ?」と責められることがあります。

単に先にパニック障害という問題が出てきて、それに対処したいと思って必死になって私は通院を選びました。
その病院で自分の体験を整理しはじめたところ、あなたは性虐待当事者ですよと指摘されてビックリした、というのが私なのです(´・ω・`)
 
※私のようなパターンを「暴かれた」と感じる人もいると思います。
私も他のサバイバーの方たちと話をしてきた中で「それ、二次加害的な形よね?平気だったの?」と言われたことがありました。
単に私の場合は、担当してくれていた臨床心理士さんをとても信頼していたから話せただけ・暴かれても嫌悪感がなかっただけです。
 
その臨床心理士さんは、変な同情も、無理矢理共感したフリもしない方でした。
むしろ、私が「あれらの体験を、私は大きな問題だとは思ってないフリを続けている」のをギリギリまで見守り続けてくれていました。
だからこそ、被害の詳細を自分から語る気になれました。

 
もちろんずっと覚えていて、早々に加害者と決別したり、対決する人もいます。
嘘だと信じて生きたほうがラクな人も居るかもしれないし、それはもう人それぞれです。

その選択の主導権はサバイブした当事者が持っているべきことで、周りが当事者ほったらかしてやっちゃけない。

具体例として、すごいありがちなのは。
家族や友人が性暴力被害にあった時に、当事者周辺の人間が「あの人が性被害にあった」ということを相談、または、心配していると称して第三者に話すこと。
善意なのはわかりますが、実はこれ、二次加害なんです・・・。

当事者が「私の代わりに話して欲しい」と「依頼した」なら別ですが、勝手にカムアウトするのはNGです。

第四章と同じく、第五章でも「当事者の主体性」については考えざるを得ないお話なんだ、ていうのがわかるかと思います。

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とにもかくにも、再版、です! 投票してくださった皆様、本当にありがとうございます(*´∇`*)

どうか1人でも多くの読みたい人に届きますように!



JUST GIVING JAPANにて

「性暴力サバイバーにとって生きやすい社会を」というテーマで公募したポスターの展示&「LGBT×性暴力」講座を地方各所で開催したい!

RC-NET(レイプクライシス・ネットワーク)さんのチャレンジへの寄付を募っています。


詳細は→http://justgiving.jp/c/9200にて。



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