点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

当事者周辺のひとたちに知ってもらいたいこと(病気編 その2)

【注意】
この当事者周辺のひとたちに知ってもらいたいこと(病気編)シリーズは、
親=病気になっていない人(サポートの位置に居る人・友達なども含む)
子=精神科領域疾患の当事者  を 前提にして書いていたテキストです。
なので適宜、当てはまる人を入れ替えて読んでくださいね。

親子であっても、人はみんな別の人間です。

どんなに似ていても、やっぱり別の人間です。

別の人間ですから、考えていることも感じていることも、似ているようで、やっぱり全然違うのです。


100%相手を理解すること、なんて、誰にもできません。

100%理解しあうことも、誰にもできません。


Aさんの病状はあくまでAさんのだけ課題です。
Bさんの病状も、あくまでBさんのだけ課題です。
同じ病名でも、AさんとBさんとでは、課題の内容も、どこから手をつけるのかも、どう取り組むのかも、それぞれ違います。
飲む薬も違えば、出てくる症状も違います。 なので比較しても仕方がありません。



必要なのは、他の患者との比較ではありません。
他の患者さんがやってみてラクになった・よかったこと、は、「参考・一例」です。

試してみようと本人が決めたら、試してみる意味があります。

今、その人に必要なことは何なのかを、本人の意志と主体性最優先で、一緒に探しては試してみる。

周囲が出来るのは、それを見守ることと、急かさないこと。
しんどい・死にたいという声にきちんと耳を傾けること。

何度も病状のゆり戻しがあってもいいのです。  右肩上がりで変わっていくものじゃないからです。

ひたすら探しつづけ、試しては、自分にしっくりくるものを見つけた時はそれを大切にする。

状態が悪くなったら、休憩する。 持ち上がってきたら、また探すことをはじめる。

その繰り返し=治療であり、療養です。

それこそが「当たり前」で「普通」なんです。