点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

精神科の入院・治療体験談1) 入院っていってもいろいろあるのだ。




まずはお約束。

このBlogに書いていく入院等の記録は、私個人の視点と体験です。
また、主に2002年ごろから2012年くらいの話です。
なのでもっと良い環境の病院もあるし、院内規則もどんどん変わっていってます。
精神科医療に関する各法律もどんどん変わっていってますし。

そして、私個人は精神科入院を「怖い」「イヤだ」と思ったことがない人です。
突然泣いてもOK。死にたいって言ってもOK。ご飯作らなくても出てくる。ぼーっとし放題。
なにここ天国じゃね?と思って入院していた人なので。
「ダメだこいつ」と思った人はブラウザをそっと閉じてください。




私が入院した病院は3箇所です。

A病院=昭和30年以降に作られた病院です。私立病院ですー。
    初診外来はこの病院でした。なので入院回数多かったし思い出もいっぱい。
    病状もめっちゃくちゃだったから、覚えてないこともいっぱい。
      
    ただし私が入院してたのは平成10年以降~平成16年くらいの頃です。
    今は通ってないからどんな感じかわかりませーん。


B病院=大正15年(!?)に作られた公立病院です。
    建て直ししたので、今はピカピカ。
    建て直し前の「昭和初期の小説に出てきそう。」な作りのときと、

    建て直し後のピカピカの時と1回ずつ入院しました。
    
     

C病院 =私の精神科入院観をひっくり返すほどとんでもなくフリーダムな病院。

    かなりレアな一般病床型の精神科です。
    あれはもうホテルかなにかだ。1回だけ入院。
      

 

A病院・B病院と、C病院を足して割ったような病院が増えていってくれたらすごくすごく嬉しいなぁと思う。

多分トータルで6回くらい入院しています。


 

 

 

 

厚生労働省 みんなのメンタルヘルス http://www.mhlw.go.jp/kokoro/

ここにいろいろありますが。

私の入院は全て任意入院 (リンク先の『入院の制度について』を見てね)でした。

で、A病院・B病院は多分、閉鎖病棟Wikiせんせー)や閉鎖処遇からのスタートだったと思います。


だけど私は前述のとおり、そこらへんあんまり気にならなかったので。

「それなりに安定してきたら、外出・外泊OKだから」って説明を読んで「りょうかーい。」って思ってました。





というわけで、とりあえずA病院からいきます。



  当時、一応PCは持ってました。
・・・抽選で当てたんです。買ってないですよ。だって当時ン十万のシロモノだったもん。

検索したって病院のHPなんて無いよ!な時代だったので。
以前書いたとおり、タウンページとかイエローページで探して通いはじめました。


入院の経緯。

1回目。

昔から隠れてやってた自傷行為エスカレート。かつパニック障害だけじゃなく、うつ病発症も発覚。
自殺未遂をやらかしていたので、死にたい衝動が起きる環境から一旦離れてみようよ、てことで入院。
これは1ヶ月居たか居なかったかです。

2回目。
もろにDVの影響。よって長期入院でした。半年以上。
(当時は主治医もカウンセラーもDVという言葉を言わなかったので、私は自覚してませんでした。 )
拒食症で体重が激減。 うつ悪化。記憶が飛びまくる。のちにDIDと判明。

で、主治医が「入院しよう。ベッド取るから!」て、1回目の時には見せなかった表情で言ったんです。
クールビューティ系の先生だったんで、あんな切羽詰った顔されたのはじめてでした。
それを見て、「あー私は今、そうとう病状悪化してんだなぁ」と思って納得。
 
実は当時身長162cm、体重38kg、体脂肪率14%未満という体になってましたが、自覚がなかった。
まっすぐ歩けない、真夏なのに長袖着てても寒い。それでも働いてた。
いまだに「あの頃の私はどうやって生きてたの?」て自分でも謎な体調でした。
なので入院は、医師としても間違いなく妥当な判断だったと思います。

あの時入院を選んでなかったら確実にDVの思考ループから出られないままでした。
先生ありがとうー!



3回目。
離婚もして、今住んでいるところに引っ越してきてからです。
なんとかして仕事をしなくては!という焦燥感からバイトを無茶苦茶やっていて。
いつもの外来診察(2週間に1度)に行ったんですけど、そこで力尽きました。
待合室の椅子から立ち上がれない・声が出ない。
で、当時の主治医が「下手すりゃ帰りの電車に飛び込みそう。」という判断で、即日入院に。

(実際そういうことを考えながら通院してたので、先生!大正解です!)



3回とも、私はお金なかったんで4人部屋に居ましたー。
2人部屋とか個室は別料金が追加されたはず。

すごい心配な方は、主治医に言えば、入院前に自分が入る病棟の見学をさせてもらえます~。
「見学する?」て言われたんだけど、それより持ち物が全然わかんなかったからそっち優先したのでわたしは見学はしなかったです。

あと閉鎖病棟か、開放病棟かで、すごい過敏になる人はどうしても居ます。
私の場合、自傷行為・自殺未遂があったんで、それで入院初期は閉鎖病棟・閉鎖処遇でした。

でもこれはこれで私には都合よかったです。

元旦那を面会拒否対象にしてもらってたんですけども。
開放病棟だったら、当時の状態から考えて、わたしは呼び出されたら会ってしまってたと思うし。

アルコール依存に既になってたんだけど、金銭管理は病院がしていたんで、飲まずに済んだ。
自傷行為もへんなもん買いに行かなくなるし。

なので閉じ込められた感が無かった。




入院病棟に入ってから、自室に入るまでに荷物検査があります。
まずベルト・マフラー系はNG。自前のコップもプラスチックのみです。
ケータイ・パソコン類もNG。 爪きりとか手鏡も病院預かり。

あと部屋に冷蔵庫ありません。個室はあるのかも。

入院した日から1週間位は、入院病棟の外に出れない外出禁止でした。

このしょっぱなの外出禁止がものすごい苦痛な人も居ます。「監禁された!」て怒ってた人も居ました。

でも私みたいに「横になってていいんだー。もう誰かに突然怒鳴られることも殴られることもないんだー」って思ってるあいだに1週間過ぎちゃう人も居る・・・はず。



いつもなら片道2時間くらいかけて通わないといけなかった診察が、入院病棟内で受けられる、ていうのも助かったー!
ちなみにA病院は、病棟内の診察って週2回っていうのが基本でした。
それ以外であまりにもしんどかったり、何かあったら看護師さんに「面談おねがいしますー。」って言えば、時間を作ってくれるところでした。

外来で受けていたカウンセリングも引き続き、入院病棟から、心理室のあるところまでてくてく看護師さんに送り迎えしてもらって受けられました。


病棟内の内訳は。
1階=男女混合の病室。 食堂・お風呂は全員この1階で。
2階=男性のみの病室。
3階=女性のみの病室。


B病院もそうだったけど、なぜか確実に仕切り&世話焼きさんが居ます。
わたしはそもそも入院する、ていうのを全く体験したことがなくて。
人生初入院=精神科だったので、はじめは仕切りおばさんが言うままに動いてた気がする~。

だけどその手の人たちってパワーゲームをはじめます。お取り巻きをひきつれてなんぼ系。

団体行動に付き合う気力なんて無いから入院してるのであって、A病院の2度目の入院の後半くらいで「あーもう自分のことだけで目いっぱいだからほっといてほしい・・・」って思えるようになってました。

でも歳が近い子で仲良くなった子が、元旦那のしてきたことを少し話した時に、ものすごく怒ってくれたんです。
それはすごい嬉しかった。
主治医やカウンセラーにもちょっとずつしか話せてなかったことだったし。

そもそも病院の外に居るひとたちには延々「話すな」と言われてきてたので、「あんたにそんなことするなんて赦せない!」て怒ってくれる人が居る、という環境はものすごく嬉しかったです。



このA病院に居たときに私はトランス、ゲイの子らと仲良くなりました。
その頃、私はまだGID性同一性障害)も、LGBTQという言葉そのものも知りませんでした。
彼らにものっすごい失礼な質問をしてたと思います~~~。

でも彼らはたまたま「学校とか会社とかで散々後ろ指さされてきて、それでうつ病になって入院になっただけだよー。」とか、「ゲイもトランスも別に病気じゃないし。」と、あっさりサクッと言ってくれる人ばっかりでした。

私は「好きで病気になったわけじゃない。たまたまなった病気が精神科の病気で、それが家に居ると更に悪化するリスクが高いから入院を選んだ」ていうふうに考えてました。

そこが彼らとも結構同じで。
それで意気投合して外出できるようになってからは、その子たちとは出かけてました。

だって自分の病室に居たら、全然話が出来ないの。
女性のみの3階に、『見た目は男性』が上がってくるのは禁止されてたので。

それでよく2階と3階の階段の踊り場で話したり、1階の食堂は食事時間が終わったら娯楽室でもあったので、そこで話したり遊んでました。


こんな感じだったので、「まさか私が精神科なんかに入院させられることになるなんて・・・・」て凹んでる人たちと、どうがんばっても相容れなかったんです。

つづきはまたこんどー。







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