点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

2016/10/30

 

 

 

 

 

父の命日を知った。

 

 

 

この日付を知るのに、10年以上の時間が必要だった。

 

父の墓に出向くのに、10年以上の時間が必要だった。

 

そして、母と弟が父の死をどう受け止めて生きてきたのか。

その片鱗を知るのに、10年以上の時間が必要だった。

 

 

父が自殺した。

ただそれだけなら、ここまでの時間は必要なかっただろうと思う。

 

『父の自殺』は、近しい親戚だけでなく、全くの第三者をも混乱に巻き込んだ出来事だった。

 

 

 

父の遺体発見は伯母であったが、警察の行う遺体身元確認は実子を優先して行われるもののため、弟が警察に出向いたこと。

その後、弟は自分の仕事と警察、父方の親戚や弁護士等との対応をすべて引き受けてくれていたこと。

母が父の死を知ったのは弟とほぼ同じタイミングだったらしい。

だが、当時、既に母と父は離婚して10年近く経っており、全く連絡をとっていなかった。

そもそも、父がどこに住んでいるのか、何をしているのか。

弟も母も全く知らなかった。

私だけが、父の携帯電話番号と名刺を持っていた。

 

父の死は、私がちょうど鬱病の最も酷い状態の頃であったので、主治医の指示で私が自分で気付いてしまうまでは知らせないという事になったらしい。

結局、その約1か月後には、私は父の借金の督促状で父の死を知ることになったのだが。

 

また、やはり一番最後まで父と直接連絡を取っていたのは私であったことも改めて分かった。

父に「母や弟、親族に謝罪してほしい」とギリギリまで言っていたのは、私だけだったのだ。

 

勿論、父が謝罪したとしても、誰もすんなりと受け入れられる事ではなかった。

けれど、頑なに所在不明を貫こうとする父のやり方は、私たちを確実に蝕み、不必要に大きな亀裂を生んでいたのは事実で。

あの頃の私は、もはやその亀裂の傍らに1人で立ち続ける気力が無かった。

 

本当にもう、父が、形だけの謝罪の意思を見せてくれるだけで、それだけで良かった。

再び家族になれるとは思っていなかったし、望んでもいなかった。

母と父が再び共に歩むことはあり得ないと分かりきっていたし、そんな必要は全くないという事も分かっていた。

 

ただ。10年以上に及ぶ祖母の苦痛を、母の苦痛を、そして私の苦痛を、一瞬でいいから逃げずに目の当たりにしてもらいたかった。

父の本音を、父の後悔を聞きたかった。

その一心で、私は父と連絡を取り続けていたのだから。

 

 

父が居る墓所は、見当がついていた。

けれど、父の死後、何年にも渡って次から次へと全く知らされていなかった負債が発覚していたこと。

そのさなかに父方の祖母が逝去したこと。

父や祖母の葬儀は全て伯母たちが済ませてくれていたため、わたしが父の墓に出向く事は控えてくれと弁護士と弟から言われていた。

 

けれど、どこかで一度、区切りをつけたかった。

 

父なんて居なかったことにして生きてきた、という内容であってもいい。

それぞれが全く違う思いを持っていても、それでいい。

 

 私には、限界なのだ。 

その「父の事に触れないでいる」ということじたいが。

父との間にあった出来事を私は無かったことにできない。

過去として忘れることも出来ない。

 

 

父の死についてお互い何を思っていたのか、少しでいいから知りたい。

もし墓に出向いても構わない状況になっているのであれば、最初で最後の墓参りをしたい。

どんなに痛くても父とのことを引き摺り出してこなければ、私の回復は無い。

それだけは知っておいてほしい。

私がいつまでも父を忘れられない・切り捨てられないことを、責められたくない。

私さえ思い出したりしなければ、気付いてしまわなければよかったのに。

ずっとずっと、そう思って生きてきたこと。今もそう思っているということ。

 

 

やっと今年、母と弟と私の3人だけで、私の考えや想いを話すことができた。

そして、最初で最後の墓参りを、3人一緒にやり遂げることが、できた。