- 作者: 東小雪
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/06/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『なかったことにしたくない』東小雪さんの本、読了。
『永遠の仔』にもある「近親者からの性虐待サバイバーの物語」を読みたかったからです。
フィクション小説という意味ではなくて、誰かの人生の一部分という意味の「物語」を読みたくなったから。
わたしも加害者である実父を心の底から憎んではいません。
東さんが被害体験後も父親と仲良くしていたことは、ぜんぜんわたしはおかしいこととは思えませんでした。
「性虐待加害者を憎めない・嫌いになれない自分」を許せなくて辛くなっている人に、それはそれでいいんだよ、と言える人って少ないのだろうか?
憎めたらラクなんだろうな、っていうときは、時折やっぱりあります。 そして父や祖父に直接怒りたかった、というのも、あります。
すごく昔ですけども、なにかで「じゃああなたは父親が大嫌いなんだよね」という感じで話をふられたときに「あれ?」ってなったことがあったんですが。
あーそうかーこれもまた「それぞれにちがいますよー」っていうのが浸透してないんだーと、考えることになりました。
ほんとにほんとにそれぞれちがうのですよ。
正解なんてないし、こうなるのがフツー、というかたちもまた、ありません。
私の苦しみを看過した母―東小雪さん:日経ウーマンオンライン【幸せになるための 母娘関係・考】
母との今後、私のいま―東小雪さん:日経ウーマンオンライン【幸せになるための 母娘関係・考】
上記の日経ウーマンオンラインの記事も読ませていただきました。
ああ、わたしも体験告白後、母との関係はどうなるのか、わたし自身もどうしたいのかわからなかった。
最終的に一切の謝罪も言い訳もなく自死した父を、わたしは許すしかないのか?
そして母が気付かなかったことを、わたしは許すべきなのか?
そもそも許すという作業を、ほんとうにわたしはやらねばならないのか?
東さんが「泥仕合でした」と仰っているところで、ほんとうに「そうなんです!そうなんです!」と頷いてしまいました。
東さん。ご自身の物語を読ませてくださって、ほんとうにほんとうにありがとうございます。
もう5,6年前になるかと思います。(すみません。わたしが時間感覚めちゃくちゃなんですー)
母とわたしは「父と祖父がしたこと。そして母がしたこと。それらが全て『あった』上で、母との関係を再構築する」という目標をつくることにしました。
この目標を作るにも、そしてお互いがそうしたいと思っているかどうかの確認作業にも、軽く10年は費やしたと思います。
そして目標にむけて、わたしも母も、模索しているまっただなか、です。
これも、こうするのが正解とかではないし、こうなるのがフツー、というかたちでもありません。
わたしと、わたしの母との場合は、今現在、こういう感じだよ、という一例にしかすぎません。
もしかしたら、さっさと母と絶縁するべきなのかもしれません。
わたしも、そして母も、このまんま放り投げてしまいたくない。ただそれだけです。
今年、母方の祖母の介護が施設入所というかたちでひと段落ついたのですが。
ある意味、『祖母の介護』という出来事を共有するという体験を通して、はじめて母の本音部分を聞くことができたり、わたしもまた自分の心のうちを説明しやすくなったりしました。
思い返せば、母と一緒に何か共通の物事に向き合って動く、という体験じたい、わたしには皆無に近かった。
(へとへとになったし、今からまたすぐになにか母と取り組め、と言われたら無理です!)
でも祖母の事情がわたしと母にもたらした副産物は、予想外の大きさと密度でした。
母もわたしも、こんなに本音でぶつかることができるとは思ってもみなかった。
わたしは自分がした体験を、自分の中にたしかに落とし込むまで、ものすごい時間がかかってしまいます。
疲れと混乱の方が大きすぎてそちらの対処を先にしないと、何を自分が感じたのかわからない状態がとても長く続きます。
まだわたしはへとへとの部分を引きずっている状態ですが。
それでもやっと「母と目を逸らさずにきちんと向き合って話をした」という実感がじわっと湧いてきています。
うん。 ほんとに2014年は『我が家にまつわる、あるひとつの終わりをはっきりと作る』ための1年でした。
※このエントリ、実は下書きで自分の幼少期の体験を書いていたのですが。
自分自身にかかる負担がとんでもなくなりそうなので、一旦、ここで止めー。