点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

体験を語る、ということ。

 

このブログに「性虐待」で検索してたどり着いて来られる方が結構いらっしゃることに気付きました。

正直、検索ワードによるアクセスの大多数が「性虐待」と「精神科入院」の2つが大多数なことに吃驚しています。

 

わたし自身が性虐待被害当事者だと気付いた頃、個人的に手が届くようなところに情報がありませんでした。

例えば今でいう『支援する・相談を受け付けているところ』じたいが在るかどうかも知りませんでした。

『支援する・相談を受け付けているところ』には、被害当事者の色々な問題や情報は集まっていたかもしれません。

 

でも、いざ自分が当事者であるとハッキリわかった後、自分がこれからどうしたらいいのか全くわかりませんでした。

いち個人レベルでの被害後のあれこれについて、何の叩き台としての情報も無かったし、どう手をつけたらいいことなのかもわかりませんでした。

 

それよりもまず、目下大いに困っている事柄である、うつ病パニック障害、アルコール依存、摂食障害などの問題をなんとかマシな状態に持って行くこと。

そして何とか日常生活(仕事も込みで)が出来るようにすることで目一杯でした。

それらの病の主たる要因であった事柄について掘り下げるだけの気力も体力もありませんでした。

掘り下げていくと決心したくても、そのさなかに自分が潰れてしまった場合、フォローをお願いできるような人は居ませんでした。

なので、カウンセラーや主治医に「この問題について話をしたい」と、すぐには言い出せませんでした。

 

 

未だタブー視されているとはいえ、当時よりもはるかにたくさんの人が精神科・心療内科に通院をはじめています。

そしてホットライン等、ごく最近の被害について対応出来る場所が増えてきてくれているだけでなく、ネット検索で相談先を見つけることができるというのは、わたしにとって、ものすごく羨ましい時代だなと思う気持ちはどうしてもあります。

 

今までにも、性虐待体験について知りたい・聞きたいと言ってくれる方がいました。

でも、わたしにとって体験を語ることは、わたしの半生の大部分を不特定多数の人や場所に開示することになるわけです。

とてもではないけれど、フルオープンな場で易々と文章にしたり話をしたりすることは出来ません。

思い出すのが辛いのもありますが、なによりわたしいち個人の話ではなくなっていくからです。

 

一滴の雫は、必ず水面に波紋を生みます。 

その波紋は、わたしひとりの手には負えないところ、思いもよらないところにも及んでいくでしょう。

そうなった時にわたしはそれらに対する責任がとれるのか?

正直、無理です。 わたしはわたしを救うこと、助けることだけで手一杯です。

 

 体験を語ることというのは、自分の人生を切り売りするようなことです。

語るためには、被害を思い出さなくてはいけない。

思い出し、言葉にできなかったほどの強烈な体験と感情を、言語化しなければならない。

言語化する作業は、自ら再び自分自身を被害現場に連れていき、傷を負わせながらしか、出来ません。

 

これは当事者が、同じ当事者の相談を受ける時にも起こります。

確かに話がし易い部分はあります。でも相談を受けている人も、再び傷を負う覚悟で「相談をうけて」いると思います。

 

 

 

『被害当事者を支援する体制』の殆どは、被害後二週間程度から渦中に在る人を主に想定し、運営されています。

RTS(レイプトラウマシンドローム)で言うところの「急性期」の人たちだけを対象にしていると言っても過言ではないのが現状です。

「既に、性暴力被害を体験し生き抜いてきたサバイバー」は、「過去の十分な支援を受けられなかった被害者たちの例」という位置で置き去りにされてしまう場面が多々あります。

これは性暴力だけに関わらず、刑法で裁かれるような案件の『犯罪被害者支援』が充分でない社会の現状をも露見させているとわたしは感じています。
 
以前、わたしは自分の被害経験を詳細に公開することや、性暴力に関する相談を受けることを安易に引き受けてしまっていました。

同じような体験をした人たちの役に立つのならという想いもありますし、あまりにも何も無かった時代(?)を体験してきたのもあって、何かせずにはいられなかった部分がありました。

 

ですが、ここ数年の中で、体験を安易に語ってしまったり相談を受けることは、わたし自身が自分の体験を軽視し矮小化することに繋がるということに、気付きました。

そしてそれは、他のたくさんのサバイバーの想いや体験を軽く扱うことにも繋がっていくのだと気付きました。

 

未だにわたしは自分の体験について、それでも生き延びてきたという自信よりも、生きてきてしまったという罪悪感の方が強いです。

 

 今後、どこかで体験を書き残すかもしれませんが、その際は出来る限りクローズドに近い形で書こうと思っています。