点線。破線。 

いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

精神科の入院・治療体験談 2)

まずは、お約束。

 

このBlogに書いていく入院等の記録は、私個人の視点と体験です。
また、主に2002年ごろの話が殆どです。
なのでもっと良い環境の病院もあるし、院内規則もどんどん変わっていってます。
精神科医療に関する各法律もどんどん変わっていってますし。

 

そして、私個人は精神科入院を「怖い」「イヤだ」と思ったことがない人です。
突然泣いてもOK。死にたいって言ってもOK。ご飯作らなくても出てくる。ぼーっとし放題。
なにここ天国じゃね?と思って入院していた人なので。
「ダメだこいつ」と思った人はブラウザをそっと閉じてください。




昔書いていた入院の体験談を、今、もっかい書いとこうと思ったのは
ブラックジャックによろしく』の後半部分を読んで、色々思うことがあったこと。

そして
福祉新聞WEB  精神障害者「退院して自由に」 意向調査で浮き彫りhttp://www.fukushishimbun.co.jp/topics/3997

NAVERまとめ  入院患者を減らす?精神科病棟への政策案が波紋を呼んでる http://matome.naver.jp/odai/2140305444304649101

ここらへんを目にしたのが理由です。

A病院、B病院はとにかくどっちも古くからある、というのもあって、年単位での長期入院をしている人が居ました。
私自身も『自分の家』『自分が住んでいていい家』、つまり、『退院後、安心して治療を続けられて、日常生活をおくれるような場所』が無かった頃でした。
私は自分の家族との関係がめちゃくちゃだったんで。


状態が落ちついてきだしたら、退院までの間に『外泊』というカタチで病棟から離れることができます。
退院後の生活につなげるリハビリでもあるのですが、もう本当にこの『外泊』は、困ったし、悩みました。

どこに外泊できるんだよ!? な状況でした。

A病院の2回目の入院の時、真夏から真冬まで居たのもあって、着る服がなくって。
病院の近くにある100円均一にめちゃくちゃお世話になりました。

たしかあの時の外泊って、離婚届を出す!て決めた時と。
元旦那と一緒に住んでいた家に自分の服を取りに帰る時だけでした。


拒食でガリガリに痩せると、寒 い ん で す !
体脂肪が無いから、エネルギーになるとか体温維持に必要な分でギリギリ。で、汗かかなくなっちゃって。
退院後もしばらく「汗が出なくてずっと微熱が続く」というのがデフォになってました。

その時に同室の人とかが「これ、要らないからあげるよー。」って服をくれたりして、ほんとにほんとにありがたかった・・・。


「外泊する先がどこにも無い」 
「身内とは病気になってから絶縁状態」
「待ってくれてる人なんて居ない」
状態も良くなってきてたり、安定してきていても、どこにも行き場が無いから外泊がそもそも出来ない。
そういう人、ほんとに悲しいくらいたくさんいました。
そして、わたしもその1人でした。



『精神科領域の病気に対する偏見が原因です』と、言っちゃえばそれまでなんですけれども。
でも実は何もうつ病統合失調症に限らず、認知症も精神科の対象疾患なんですよ。

だけど、主な認知症患者さんの年齢・世代を考えると「精神科に行きましょう」だと通院してくれないから、『物忘れ外来』とかお茶を濁したようなネーミングになってます。
『老年精神科』っていう看板をあげているところもありますね。

そもそも精神科領域の病気で、体調が悪化するってことは内科領域の病気も併発しておかしくないわけで。
内科も精神科も両方OKよ!というのを看板にしてみたら『心療内科』っつーネーミングになりました、な話です。

うちの祖母(アルツハイマー型の認知症です)精神科という言葉に対する嫌悪感みたいなの、えげつなかったです。
私が精神科に通ってることを心底嫌がっていました。一緒に生活していた時は、暴言・差別用語連呼の日々でした~。でも『物忘れ外来』になったら、行くんですよ(´・ω・`) どないやねん。


入院生活のリズム(起床時間とか)は、多分、内科や外科と変わりません。

違うかなー、という部分は。
・ 食後にナースステーションで自分の名前を言って、その場で処方薬を飲む。(飲み忘れ防止)

・ 眠前薬を処方されてる人は、夜8時くらいが眠前薬の時間なんで、同じく貰いに行って飲む。

・ 夜9時くらいが消灯。 例えば不眠の人は8時に眠前薬を飲んでます。
  消灯の後、どうにも眠れない人で、追加の睡眠薬が処方されている人は、10時以降(だったかな?)に、もっかいナースステーションに「追加くださーい」って言いにいって追加薬を貰います。
  

・ 週1回、ベッドカバーとかシーツの交換の日があります。
 その時にさすがにしんどくて無理!ていう人以外は自分でシーツ交換をします。
 ある意味リハビリみたいなもんです。
 (コレに慣れてたんで、初めて内科に入院した時、自分で換えようとしちゃって「えっ!?」て看護師さんに言われました~)

・ リハビリっぽいことの総称は『作業療法』が大半です。参加には主治医のOKが必要です。
 

 この作業療法、ほんっとに色々あります。
 なんかモノを作る系もあれば、みんなで畑仕事するところもあるし、カラオケや合唱。
 軽い運動をするものもあったりします。
 
 SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)ていうのをやってるとこもありますね。
  
  一般社団法人 SST普及協会 http://www.jasst.net/ 
  いろんな本も出てます。私は参加したことないので内容知らないです~。


 A病院はカラオケが土曜の午後にあって、院長先生も参加してました~。
 B病院にもありました。
 
また、最近は自助グループミーティングを取り入れているところもあります。C病院がそうでした。



洋服くれたり、私がやっと全粥食を完食できた時にすごい喜んでくれたのは、長期入院の人たちでした。

そして、障碍者年金のことや、今で言う自立支援法の公費負担制度を教えてくれたのも、長期入院や入退院を繰り返しているひとたちでした。
ほんとにほんとにありがとうございました! 
もうね。ソーシャルワーカーそのものを知らない時だったので、当時のわたしのソーシャルワーカー=患者の皆様、でした。

 

 

 

 

====


そもそも、なんで精神科ってそんなに「危ない」「怖い」モノ認定なんだろう、と思って。

ちょろっと本を読んでみたこともあります。
・・・でもなんかもう余計死にたくなってくるよーな内容がすごい多いので、普段はそこらへんは専門家の方々にお任せしよう、ってことで読んでません~。

Wiki先生がざっくりまとめてくれているので、遡ってみました。
Wiki先生 精神障碍者の日本の歴史


私宅監置
私宅監置(したくかんち)とは、日本にかつて存在した精神障害者(当時は精神病者と呼んだ)に対する制度で、自宅の一室や物置小屋の一角などに専用の部屋を作り精神障害者を監置することである。
1950年の精神衛生法施行にて禁止された。
明治時代~昭和時代中期頃までの精神医療は精神障害者を精神科病院に収容することを目標のひとつとしていたが、1900年(明治33年)精神病者監護法制定当時は精神科病院や精神科病棟は不足していた。

病院に収容しきれない精神障害者への苦肉の策として私宅内に専用の部屋を設けて、そこに閉じ込め、行政(警察)が管理する諸外国にも類例をみない制度だった。

中程度の資産を持つ家の多くがこの制度を利用した。

 
 ↑ Wiki先生から引用

恐ろしいわ!!!!!  そら「人間で無くなりました」とか言っちゃうよ!


明治くらいに国が『精神病の人を収容する』病院を作るよ!てなって。
そこらへんから 色々と時代も変わって、憲法も変わって、あれやこれやと薬も増えてきたけど。

肝心の 『精神病の人を収容する』のところが、全然抜けてくれない。
『収容する施設=精神科の入院病棟』の発想のまんま来てるんだな、と。

そら鉄格子装備の建物イメージが定着することにもなるわな・・・。
(窓ガラスが割れにくい・窓が開けにくいデザインの技術が無かったという事情があったとしても。)


今、精神科医療は必死で『開かれた医療』を目指しています。

先日、MRIを撮りに内科にいきまして。そこの先生に言われて「あー。」と思ったのは。

どうしても精神科に通院をしている人が抱えている病状や悩みって、すごくパーソナルなことが多いです。
万人共通項みたいなのがすごい狭い。 個別で当たり前な感じ。

わたしもそうです。こんなBlogとか書いてますけども、フルオープンには書いてません。
オープンにしてもいいや~なことしか書いてません。

精神科通院がメインの人が、紹介状を書いてもらって、他の科や他の病院に診察を受けに行くと、とにかく「情報がどう他の科に関係してるのかよくわからん。更に、時間的にもなかなか開示してくれないから内科系の病気の早期発見に繋がらない。」んだそうです。

 ・・・ごもっともです。ハイ。 


それくらい個人情報を守る、という姿勢が、もはや『閉じてて当たり前』になっていて、「他の科との連携が全然とれてない・とりにくくて仕方がない!」のが、他の科からみた精神科のようです。

そういう他の科との連携を患者の意志はもちろん重視するけれど、もっとスムーズにできるようにしようぜ、てのがまず『開かれた医療』の中にあるようです。



同時に、『精神科入院中の生活』と『退院後の生活』のギャップが、長期入院者はほんとに大きいです。

薬のことだけでも、入院中はずっと病院が管理しています。自己管理の練習ができないんです。
退院手続き終わったら、ぼーん!と外来診察日までの分をひとまとめに受け取ります。
なんだこれ?てなりました。

また、日常生活ってシーツ交換だけじゃない。自炊も、掃除もある。

そこらへんを別に障碍者手帳対象者じゃなくても利用できるような支援・相談のシステムが無い。足りてない。
(手帳持ちならヘルパーさんをお願いできたりします。)

退院までの生活指導的なもんが、患者側から「何かありませんか?」って言い出さないと無い。足りてない。

そういう支援等について相談できるソーシャルワーカー精神保健福祉士との面談も、こっちから「退院するにしてもここを出てから、わたしはどうやって生きていけっての?!」て主治医にわーわー言って、はじめて会えました。

C病院は、ソーシャルワーカー精神保健福祉士さんとの面談があって当たり前、な所でした。
また、入院中に薬の自己管理をできるように指導・練習がありました。

病院や医師ができる『退院にむけての方針』って、これが抜けてたら意味がないと思うの(´・ω・`)
そら、入退院を繰り返すハメになるよな、と思いました。

今まで病院側が管理しまくってたことを、いきなり丸投げされて、それにすぐ順応できるなら、精神科通ってねーよ。

受け皿の数が少なすぎるのと、受け皿になろうというところが少なすぎる、と、個人的には思っています。

こっちから「ここはどうなの?」「これは何か手を貸してくれるところがあるの?」とガンガン質問して、はじめてなんか出てきたぞ、なパターンが殆どでした。

C病院は他の病院とはまちがいなく「もういろいろ違う!」な病院でした。

そろそろ私がヤバイ時期に突入してきているので、つづきはまた気力があるときにー。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ サバイバーへ
にほんブログ村