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いちサバイバーの思ったこと、考えてることのキロク。

患者の家族・サポートする立場の人へ その1

 

家族がうつ病になった時にどうすればいいのか?というテーマで書かれた本は、ここ数年、ものすごく大量に出回っていますので、そちらを読んでいただくのが早いかもしれません。

 

ですので、ここでわたしが書くのは、あくまでもわたし自身やわたしの友人・知人たちと話をしてきた中で上がった「家族にどうして欲しかったのか?」という内容ですので、「こういうことを感じていた人もいたんだ」程度に捉えていただければと思います。

 

ちなみにわたし自身はその手の本を殆ど読んでません。

本を読む気力があるのなら、自分にとって役立つものを読みたかった。

また、家族に何かしてもらいたくてもそれを期待すれば自分が傷つくだけという環境であったことも、読まなかった理由です。

 

 

してほしかったことと、してほしくなかったことが混ざってしまうかもしれませんが、思いつくまま書いてみます。

 

 

【してほしくなかったこと】

 

1)「なんでそんな病気になったの?」と、通院をはじめたことや投薬治療をうけていることを責められること。

何でといわれても、わかりません。なっちゃったから、良くなりたくて通院している。

病気を軽くしたい・良くなりたい・治したいと、患者である本人が願ってはいけないのでしょうか?
たまたま自分がなった病気が精神科・心療内科と呼ばれる科に属する病であったから、そこに通院することにした。
それは何か間違っているでしょうか?

患者本人が、誰よりも「なんでこんな病になってしまったんだ」と悔やんでいます。悲しんでいます。苦しんでいます。

それを外野が畳み掛けるように言葉にすることで、更に患者本人は追い込まれます。

「なんでこんなことに?」と考えるのは当然だと思います。
自分の心の中で叫ぶのも、信頼している友人に話すのもかまいませんが、患者本人に対してだけはその言葉をできるだけ使わないで欲しいです。

2)患者の「死にたい」「苦しい」という言葉をさえぎらない
  
死にたい、と言うと、「なにバカなことを言ってるの?」「そんなことを言われても困る」「自殺は絶対にダメ」「みんなの気持ちも考えて。」と、すごい剣幕で説き伏せられるのは、当人にはものすごく辛いです。

例えばあなたが高熱を出して、「頭が割れるように痛い」「痛くて辛い」と口にしたとします。
それを「甘えるな」「そんなことを言うもんじゃない」と説教されて、「なるほどな」と納得できますか?

「死にたい」という言葉には、実際の自殺だけでなく、「痛くて苦しい」「早くこの状態からラクになりたい」という叫びも込められています。

そこに更に周りのことも考えて、などと畳み掛けられると、「自分は痛いっていうことすら許されない存在なのか?」と感じます。

「死にたい」と言葉にする。そして、涙を流して泣く。
それだけで患者本人の気持ちが落ち着くこともあります。

泣いてもよい環境を、死にたいくらい苦しいといっていい環境持っていることは、当人にとってとても大切な事だと思います。

別に周りが説き伏せなくても、患者本人は「自殺したらどうなるだろう?」と色々考えています。子供が困るだろうとか、親が泣くだろうとか、ちゃんと考えています。

もう理屈ではないのです。痛いものは痛いし、苦しいもんは苦しい。そしてその痛さ・苦しさは、患者本人にしかわからない。
病気ってそういうものですよね?

周りは「死にたいくらい苦しいんだね」と、患者当人の今の姿をそのまま受け入れて下さい。

「あなたの死にたいくらいの苦しさを全て理解する事はできないけれど、あなたの死にたくなる気持ちが今よりも減るように、一緒に何が出来るのか探していこう」と、心の中でつぶやくだけでなく、きちんと声にして伝えて下さい。